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ミロのヴィーナス的建築

ミロのヴィーナスと聞いて思い浮かべるのはあの印象的な両腕を無くした姿だろう。
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たまたま授業で、ミロのヴィーナスの不完全美についてやっていて、ふと思った。

不完全なものに人は引かれやすい

特に僕の場合はそうかもしれない

例えば、僕が毎日使う筆箱はシンプルなデザインのアルミ製で机から落としたりカバンの中に入れておいて傷がつき、経年劣化がおきているのを楽しんでいる。また、僕のシャーペンは中学生の時から1本しか使っておらず、塗料が剥がれ、プラスチックの体は所々割れている。それがある意味僕には美しい。

 

それを建築に置き換えてみたい。

本来建築物は不完全であってはならないはずだ。しかしそれは機能としての不完全があってはならない訳で芸術としての不完全はむしろ美である。

それを僕は不完全な建築をカッコつけて言い換えたい

ミロのヴィーナス的建築

具体例を上げるならば

僕の好きな建築家の1人、フランクゲーリーの作品、「マルケス・デ・リスカル」


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この波打った不思議な屋根や、外壁の様なものが一見見えないようなファサードがミロのヴィーナス的であると感じる。

 

このような建築は当然、脱構築主義が生まれたモダニズム建築に多い。

他にも

 

それと、「不完全」というのは「完全である」という事象を基準に裏をついた見方でもある。

 

時々東京に行くと代わり映えのないビル群が乱立するのを見ることが出来るが、ビルというのはある意味、「完全」の象徴であり、僕はそれに美を感じることが出来ない。

そういう訳で生意気ではあるが、不完全な建築、ミロのヴィーナス的建築は美しい。